さっしーです。
悪口、非難、かってな評価、決めつけ、一般化(いつもそうだ、みんなそうだ、、、)、、、世の中にあふれていますね。
そういうのって、いいかげんな情報に基づいて発信され、尾ひれがついて広がっていきがちです。
情報操作って某総理大臣も国会で連発してましたが、情報を意図的に操作して悪い印象を与えるということもできます。
それって本当?
社会では、人に関するいろんな話を聞きます。
あの人はこんな人。
あいつはあんな事してる。
いろいろ批判される事もあります。
それなりの根拠があってのことですが、その根拠が問題です。
ところで、それって本当?
ネット上にはすごくいっぱいありますよね。
有名ブロガーさんなんか、SNSなどであることないこと書かれてる人もいるんじゃないですか?
たしかに炎上歓迎かいと思える表現もありますけれど、そこまで言うかという悪口も言われてますね。
自分の考えに合わなければ、自分と違う、でいいように思いますが、まぁこう書いてることも非難になっちゃいますね、、、
感情的なジャッジ
対立すれば相手がいます。
誰かが勝れば、誰かが負う。
どちらにもいろんな事情があるはずですし、言い分もあるでしょう。
一方にとってはそう見えても、別の見方も出来るものです。
片方からの情報で、安易にジャッジしてしまう気持ちにはなりますが、両方の情報が最低限必要ですよね。
人は事情がわかっていなくても感情でジャッジしてしまいやすいものです。
感情に振り回されず、せめて事実と背景に基づいて判断したいものです。
その事実って本当かな?と考えることが大事。
そもそも判断する必要のない事をあれこれ言うことが多いものですけれど、、、
一歩止まって、それ本当?
不器用な社会貢献もあるでしょう。
不器用な親孝行もあるでしょう。
ダメとわかっててもやることもあるでしょう。
誰もみてない努力も、誰も知らない苦悩もありますよね。
そういうものを見抜ける目が欲しいものです。
まぁそうなれればいいですが、わたしなどはまだまだ修業の身。
せめて、それって本当か?と、一歩止まることを心掛けたいと思います。
時代遅れで良い
言われる側になった時には、自分自身で素直に振り返ってみると共に、外からの指摘が当たってないことに右往左往しないことも大切です。
自分は自分が何をしてきたかを知ってるんですから。
もしも指摘が当たってたら、素直に反省する姿勢も大切ですが、いわれのない事に動かされては何も出来なくなります。
「南山に鼓を打てば北山に舞う」 といいます。
どこかに必ず自分の理解者がいると信じて正しいと思うことをしたいですね。
山本五十六さんの男の修業という詩があります。
苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっと
こらえていくのが
男の修業である
少し古いですかね。
現代では女性も含めて、人の修業というところでしょうか。
なかなか「こらえる」っていうのは大変です。
せめて、いいかげんな情報に基づいて、いろいろと口にするのは控えたいものです。
そういうの、いまどき流行りませんかね?
時代遅れで良いじゃん!