さっしーです。
ガIアの夜●けという番組で、某ビールメーカーの社内『飲み会』での先輩社員の説教が注目されています。
「お前どれだけやっとんねん。やれや。できるやろ。」
これじゃガイアのたわけ、、、m(_ _)m
前後の流れなどから、そう言いたい先輩の気持ちはわかります。
わかりますが、その言動はダメですね。
方策もなく、根性論と感情論で後輩を指導している会社というレッテルを貼られてしまいます。
全員がこうじゃないんでしょうけれど、会社としての問題は大きいと思います。
どこかにそういう言動を生むような雰囲気があるのだと思われてしまいますね。
某女性議員の暴言問題なども注目されてる昨今、広報部はチェックしないんでしょうかね?
先輩達はできてたつもりになってしまうもの
先輩は、自分は出来ている(いた)というつもりの人が多いもの。
最近よく観戦する高校サッカー部の試合観戦でもOB達はうるさいです。
でも、自分たちが現役の時もそれほどじゃなかったと思うんですけどね、、、
後輩たちのプレー見て笑うって、、、あんたも似たようなプレーしてたじゃん、と思う事もしばしばあります。
いや、本来自分は出来ない事でも指導するのが愛情であるというのはわたしもそう思っています。
でも、それならそれなりの表現があるはず、、、と、最近思います。
この会社の事、少し知ってるんですけど、残念です。
少なくとも以前はそんな会社じゃなかったんですけどね。
何をどれだけやるのか?
何をどうやって売るのか?
そういう方向性が会社として明確でない中で、目標というノルマで縛られた真面目な若者は、根性で乗り切ろうとするのが一般的ですね。
ライバルに勝つために、、、同じ事を同じようにやるわけですから、価格や根性で差をつけるという発想になります。
それじゃ結果は出ても続かないよ、、、と言ってあげるのが先輩社員ではないでしょうか?
しかし実際の社会ではこういうパターンの会社・先輩は「あたりまえ」「ほとんど」レベルで多いというのも事実。
同質的な競争によって消耗していく人たちは、ネットの世界では社畜などといわれますね。
同質的な競争で消耗するな
部下のやる気を引きだすのも上司の大切な役割。
しかし上司の「やれや」の言葉で、部下が本気になって「やる」なら誰も苦労しません。
そんな言葉だけでやったとしても、続きませんしね。
百歩譲って、部下が本気になって売れたとしましょう。
しかし、そういうレベルの競争って勝ったり負けたりするものです。
上司は常に叱咤し続ける、、、部下にはたまらない会社になります。
もちろん、仕事をしていく上で根性は悪くないかもしれません。
目標もいいでしょう。
しかし、もしも根性を使うなら、どうやってやるかというアイデアを産み出す部分にまず使って欲しいものです。
あきらめず、考え続け、できるまでやる。
そのためには、現代の働き方というか考え方そのものを変える事が必要だと思います。
今の働き方では目先の結果を生み続ける事で精一杯で、そのうち消耗してしまう人が多いのです。
頑張れば売れるのか?根性入れればできるのか?
頑張りも、根性も、あっても悪くないでしょうけど、それだけじゃ足りないものです。
前提を外してコペルニクス的転回を目指せ
やってるように見せながらも、今の社会では無駄と言われるような余計な事も考えたり試したりすることでアイデアを産みましょう。
いろいろ考えてても、ある程度ものが言えるようにしておくことも必要ですから、やってるようには見せないと、、、言えるように持っていくのもスキルです。
話を聞いてもらえなければ実現できません。
まぁ上手にやっても、熱意があっても、理解してもらえない会社も多いですけどね、、、
そんな時は、自分のパッションとスキルを信じて、活かせる場所に移るのも悪いことではありません。
いずれにしても、同質的な競争を根性で勝ち抜く事にとらわれて消耗してしまってる人たちと同じ事をするのは無駄なことです。
違うアプローチ方法はないか?と、●●しなくちゃいけない!こうあるべきだ!という前提からいったん離れて考えてみることも必要です。
コペルニクス的転回を目指すのは楽しいじゃないですか!