もはや会社で働くということがあたりまえではない時代に変わりつつあります。
しかし就活に一所懸命な姿はまだまだあまり変わっていないですね。
会社で働くのが普通の流れではないというのに就活する意味はあるのでしょうか?
わたしはあると思います。
時代が変わると価値観も変わる
卒業して社会にはばたくといっても、自分は何ができるのか?
自分は何をしたいのか?
何に情熱を持ち続けられるのか?
わかってる人の方が稀でしょうし、わかってなくても自然ですよね。
だってまだ何もしてないんですから。
もちろんわかってるという人もいるのでしょうから、就職しなくちゃいけないとは思いませんが。
時代の変わり目は、今までの普通の流れ、目指す姿に違和感が出る時期です。
これまでの価値観と新しい価値観のズレが目に見えるようになってくるということです。
戦争中に目指していた姿は戦後の目指す姿と全く違うものに変わったように、、、
高度成長期の働き方とバブル後の働き方が変わったように、、、
江戸時代と明治では目指す方向も全く変わったはず、、、
時代が変わるということは価値観が変わるということでもあります。
理不尽から学ぶ
今のこの転換期には何が変わるのか、、、
流れの速い時代です。
じっくり育ちながら、という時間が無いのです。
いや、育つということは時間のなかで経験しつつというのが一般的。
昔で言えば丁稚奉公で学んだように、理不尽から学ぶのというのはいつの時代でも必要なのかもしれません。
そういう意味で、今の新卒就職は丁稚奉公のつもりで必要なもの。
理不尽を求めてスキルを高めてからの選択肢が多様化し、ある意味舞台がより広くなったことで、逆に一層の格差が生まれる時代でもあります。
これからは正社員だろうがフリーランスだろうが、必要な時に必要なスキルが求められます。
【参考記事;能力不足の社員より有能なフリーランスが求められる時代】
<↑↑↑ ※「琥珀の夢」(上);丁稚奉公によって成長する姿が描かれています。おすすめブックです!>
何が出来るのか?
何を生み出せるのか?
何が創れるのか?ということが大切になるのです。
それも、どこにいてもスキルを発揮できる時代です。
逆に言うと、世界中のスキルを集めることができるということ。
舞台は広がっているのです。
「どれだけ知ってるか?」から「何を創れるか?」
会社にしがみついていける時代じゃありません。
会社がどんどん無くなる時代です。
40代50代の社会人が早期退職を求められ、履歴書持って就活する時代。
そういう人たちの就活は怖さを知った就活です。
そういう人たちは、入って育つことを期待されてるわけじゃありません。
すぐに何かを生み出すことを求められています。
これまでは「どれだけ知っているか」という受験的スキルが通用したのかもしれません。
しかし、これからは知らないことは調べて(ググるなどすることで知ってる人に教えてもらって)補充しつつ成果を出すことが求められる時代。
要は「何を創れるか」というスキルが求められます。
それを実現するためには、、、パッション、情熱が必須。
いまどきにあまりそぐわない言葉かもしれませんが、自分が寝食を忘れて夢中になれることを持つことが重要なんじゃないでしょうか。
どれだけ知ってるかなんてあまり重要じゃありません。(学校ではせっせとつめ込みますけれど)
それよりも、どれだけ考えられるか、何を創れるのかということが求められるということを意識しつつ、丁稚奉公してみると、自分は何がしたいのか、何に情熱を持ち続けられそうかということが見えてくるかもしれませんよ。