広島市にはお好み屋さんが約800件、、、少し減ってきてますがね。
昔は広島市民はみんな、自分の家の近くに必ずお好み屋さんがあったものです。
持ち帰る時には、今でもそういう店が少し残ってますが、持っていった皿や持ち帰り用の木の入れ物にのせたお好みを、新聞紙で包んでくれたものですよ。
広島では、「お好み焼き」のことを「お好み」と呼ぶことが多いですね。
「今日の昼飯なんにする(何にする)?」
「お好みにしよぅやぁ」
「おぉええねぇ(良いねえ)」
こんな感じの会話がされてます^^
そんな「お好み」は広島人にとってのソウルフード。
昭和のはじめころ、一銭洋食という子供のおやつ的な食べ物がありました。
一銭洋食にはウスターソースがぬられていたそうです。
そして戦後、、、ご承知の通り広島は原爆で焼け野原になってしまいました。
しかし、人々は懸命に生きていきます。
当時の広島は造船などの関係もあって鉄が手に入りやすかったそうです。
その鉄は鉄板となって、焼け野原の屋台で活躍します。
今の新天地公園あたりには屋台がいっぱい出店しました。
そこにはお好み屋も、、、
屋台では水道がありませんから、洗うことが悩み。
ということから、お皿ではなく鉄板で、箸ではなくヘラで、という水を極力使わなくて済むスタイルが確立されていったのです。
当時のお好み、ソースはウスターソース。
お店の人が、「ウスターだとすぐに鉄板に流れて蒸発してしまう」とソース屋さんに相談したのが今のお好みソースの誕生につながります。
そんな感じでお好みが定着してくる中で、屋台だけでなく、自宅を改装してお好み屋をやり始めるお店が増えました。
そういうお店の店主はだいたい女性。
「□○ちゃん」というのは店主の名前からです。
これは、出征したご主人が帰ってきたらわかりやすいからという説もあります。
戦後の食糧難の時代、広島には鉄板があって、きゃべつをたくさん入れてボリューム出して、、、
ちなみに広島のお好みにはもやしが入っています。
このもやしはブラックマッペという種類。
あと、天かすも入ります。
今でも広島の呉方面は「イカ天」のシェアNo.1です。
イカ天を作る時には天かすもできるんですよ。
そのうちにそばが入り、卵を持ち込んでたのが定番化し、、、
と、今の広島スタイルが出来上がってきたのです。
広島の戦後はまさにゼロから、いや絶望的な状況からの復興でした。
70年間草木も生えぬといわれていたくらいですから。
そんな復興の歴史と共にあったのが「お好み」!
お好みは広島人にとってのソウルフードなんです。
東日本大震災の時には、被災地の復興を願ってお好みの提供がされました。
10月10日はお好み焼きの日、と思ってたら、最近では毎月10日はお好み焼きの日とオタフクソースさんが言ってるようです。
10月10日は、ジュージューでわかるんですが、。、、こうなったら10時10分はお好みタイムなんてどうでしょ(^_^;
わたしはだいたい週一でお好みを食べます。
お店によって味は違います。
自分でも焼きます。
自分が焼いて美味しくできたらなんとも言えないんですよね!
ちなみに、独断ですが広島のおじさんのこだわりは下記です。
基本は、肉玉そば!
ちょっとリッチに、イカ天入り。
イカ天気分じゃない時は、ネギかけ。
最高気分で、肉玉そばイカ天ネギかけ!!!
あと、マヨネーズは邪道じゃけぇ!!
ソースかけ過ぎもちょっとねぇ、、、
まぁ、そうは言ってもうどんもいいですし、餅入りやイカ・エビ、チーズなんかも人気のようです。
トッピングもお好みということですね^^
【参考記事】