家庭での会話から会社での会議、SNSでのやりとり、いろんな場面でコミュニケーションがあります。
基本的には、事実を確認して意見を出し合い、理解し合ったり、よりよい解決策を構築したりすることを目指しているはず。
しかし、ときどき(しょっちゅう?)あるのが、攻撃や戦い。
解決したいの?攻撃して勝利したいの?
まぁSNSなどでは意図的にやっているケースもあるのでしょうけど、うまいこと仕掛けてるなぁと感心する一方で、なにか屈折したものを感じてしまいます。
職場や学校などでも屈折したコミュニケーション(もどき)をとる人は結構多いですよね。
いじめなどは典型的。
まぁ国会などでもよく見かけますがね。。
そんな偽コミュニケーションは権力闘争。
あまり意識していないこともあるのですが、ごく自然にそういう闘争を繰り返す人って結構多いように感じます。
とっても疲れるだろうなと思うのですが、そういう疲れがより一層攻撃的な気分にさせるのかもしれません。
そういう時は感情的になりやすいですが、そんな中でも自分は冷静に、論理的に話しているという人もいます。
それでも闘争になっているということは、コミュニケーションとしては失敗です。
理屈で抑え込むだけ、論破したって人は動かないものです。
ある意味で相手をやっつけることはできても、前向きに建設的な方向には進めません。仇は敵ですしね、、、
まともなコミュニケーションでまず大切なことは「共感」です。
先日テレビで聴きましたが、女性脳は共感をまず求めるとのこと。
逆に言えば、男性は共感能力が不足しているのか、戦うこと前提の脳なのかもしれません。
いずれにしてもコミュニケーションに必要なのは「共感力」と言えるのではないでしょうか。
共感するということは、相手の考えに合意することではありません。
なるほど、そういう見方、考え方もあるよね、という姿勢です。
自分の見方・考え方との違いをお互いに認めて、未来に目を向けてこそコミュニケーション。
過去に目が向けば非難の傾向があるものです。
そもそもどうしたい?
目的は?
これができたらどうなる?
そんなことを念頭に置きつつコミュニケーションしてみてはいかがでしょうか?
他の人と見方・考え方が違うというのは自然なこと。
なぜそういう考え方をするのか?と興奮して押さえつけようとすると闘争になります。
純粋に、自分と違う、なぜか?と相手を理解しようとする姿勢は、まさに自分が相手に求めている姿勢。
であれば、まずは自分がそういう姿勢を示すのが効果的なはずです。
特に気になっているのが子どもたちへの影響です。
ネットでは相対するコミュニケーション以上に挑発的な言葉で権力闘争が行われています。
そういうのを読みつつ育つと、そのうち相対した場面でもそういう表現を使い始めます。
サクッとブロック、はいオワコン、、、なんて書いてるだけでいやーな感じです。
現実の世界では、もっと泥臭いというか、地に足をつけてというか、、、どうも何かおじさん的な表現ですけどおじさんなのでお許しを、、、そういうものでしょ。
わたしを含めて人間は誰しも闘争しがちなものっぽいんだろうなと思いつつ、逆にコミュニケーションをここまで上手に取れるのも人間なんだよな、と思うわけです。
共感力弱めで闘争しがちな男性でも、大好きな女性に対して闘争はしかけないでしょ(^^)
それはなぜか?
もっと理解してほしい、理解したい、わかり合いたい、、、ということですかね。
あるべき姿は、結構単純・シンプルなものです (^_^;