受験前、大切な交渉前、あの娘への告白前、、、どうせ無理だろ、だめなんじゃないか?と不安になる気持ちはわかります。
そこであきらめてしまっては、既に終わっているということですよ。
結果はやってみなけりゃわかりません!
不安になっているだけじゃ砂山も乗り越えることはできませんからね。
不安でも一歩前に足を踏み出すことが、唯一の解決策です。
もう数十年前、わたしは中学受験をしました。
誰もが合格できると言ってくれていましたが、結果は不合格。
でも、自分なりには勉強しました。
ただ、はじめての受験(ほとんどのライバルもそうですが)ということもあり、ダメなんじゃないかという思いが強かったということを覚えています。
高校受験では、第一希望の私立高校は不合格。
このときは、誰もが難しいなと思っていたと思います。
何より自分自身が最初からあきらめていて、受験はある意味ポーズだったと思います。
第2希望の公立高校には絶対大丈夫だと思ってましたから、それでいいや、と。
大学受験では、何故か第一志望に合格できました。
それなりに努力していたつもりでしたよ、本人的には。
でも、ほとんどの人が難しいなと思っていたでしょうし、一浪は「ヒトナミ」(人並み)だと自分でも思っていました。
いずれの受験でも、試験の前には不安になったものです。
でも、不合格に抵抗が少なかったのでしょうか、、、受験はしました。
社会に出て、経験を積んで、それなりの仕事をしていく中でも、時々受験したあの頃のように不安になることがあります。
ダメなんじゃないか?
それどころか、日々の仕事の中でも、そんなのどうせ無理だろ、、、と思いがちな場面はいっぱいあります。
でも、そんな時でも、なんとかしようと考え抜いて、這ってでも前に進むとなんとか光明が見いだせるものです。
その結果は必ずしも成功だけではありませんが、必ず次の「糧」となります。
いい年になった最近では、職場の若手があきらめてやってる場面も見かけます。
ああ、無理だと思ってやってるな、とわかります。
そんな時は、お客様が無理を言ってる、協力会社の協力が足らない、、、と他責の意識が見えるものです。
それでも、なんとかしようと思えば8割方はなんとかなるものです。
100%でだめなら120%、120%の力が出ました、、、100%よりたくさんの力は出るはずがありませんから、普段は全て出してると思っても80%程度しか出してないよということでしょ。
火事場の馬鹿力、、、という言葉もありますが、普段はできなくても、あなたにはもっと力があるんだよということなんでしょうね。
次はない、これが最後、明日死ぬ、そんなつもりで取り組むことで、すべて出し切るように意識付できます。
もちろん、自分のスキルを100から101にする努力は大切ですね。
それによって、普段の出力も80から80.1くらいになります。
一歩一歩、蓄積していけばいいじゃないですか。
不安になっても、ダメだと思っても、もっとできるものです。
やらなければできませんよね。
やったらできるかもしれませんよ!
やってみなけりゃわかりません。
ダメでも命があれば次があります。
そういう意味では、受験や仕事の失敗なんて軽いこととも考えられます。
「やってみなはれ」と鳥居さん(サントリー)も言っています(^^)
失敗を経験しろよ、ということでしょ。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が好きです。
なんとかしようと、格好悪くても這いつくばってくいさがることは成長の糧。
結果は天命。
うまくいっても満足は禁物です。
満足は、あきらめ同様、そこでストップということですから。
結果に対しては、負けて腐らず、勝っておごらず、ですね。
こりゃぁ、おじさんもしおれてる場合じゃないですな(^_^;