年齢を重ねてくると、、、厚かましく、雑になりがち、、、のような気がします。
えっ、お前だけだろ???
よく見かけませんか?あつかましいオジイ様やオバア様、おじさんおばさん。
店員さんに上から言葉で話す場面。
店員さんも、要注意のお客様上位はおじさんおばさんだと思ってるらしいですよ、、、
そんな中で、年齢を重ねても腰の低い人も時々めぐりあいますが、ごく稀です。
年齢を重ねるということは、確かにいろんな経験を重ねていること。
そんな自分の経験値をもってわかったような気になってる、ということってないのでしょうかねぇ。
自分はいろいろ経験してきて、経験の浅い若者よりも「わかってる気」になってるだけなんじゃないですか?
経験したということと、経験が活かせているということは別です、
その経験は今、ここでも通用するのか?
その経験を抽象化したらどういうこと?本質をつかんでる?
ああ、そんなのはこうすりゃいい、、、それでうまくいくこともあるのでしょうけど、ちゃんと説明できる?
あのときああだったから、今回も本当にそうなる?
社会で活躍している若者が最近特に目立つような気がします。
わたしより遥かに年下です(^_^;
彼らの結果はたまたまかもしれません。
ただ、彼らが言ってることって、結構学ばされます。
目からウロコが落ちる思いをしたことって結構あります。
昔から言われてきたことの盲点、コペルニクス的転回のような、あぁなるほど!!と感じることが多いような気がします。
(もうそんなに若くはないですが)堀江貴文さんは書いてます。
「見切り発車は成功のもと すぐに始めてしまって、走りながら考えよう」と。
たしかに危険な意見かもしれませんが、「しっかり準備して始めないと」と考えて行動しなかったこと、わたしは経験したことあります。
行動することが大切だとも知っていますしね。
確かに先鋭的な若者の意見の中にも調子に乗ってるなと思うようなのもありますけどね。
だから経験を重ねなきゃダメということには繋がらないですよね。
要は、正解は一つだけじゃない事が多いということ。
(正解は一つだけじゃないと断言しないところが一つじゃないということですね^^ )
年齢を重ねた人なら知ってるはずです。
昔から言われてるから、、、正しい?
専門家が言うから、、、正しい?
きっと大昔、天動説はそういう感じだったんじゃないですかねぇ。
自分の経験が全てじゃないはず。
自分の見方は一つの側面。
彼らは彼らの立ってる所から見ているはずです。
偉そうに言って間違ってたらかっこ悪いですね。
まぁかっこ悪いことなんていいんですけど、、、
そんなことより、別の見方を否定することの方が問題ですね。
歳をとってるのなら、せめてこういう見方もあるよね、とか言えないものですかね?
実るほど 頭を垂れる 稲穂かな
そういう言葉を知ってるだけじゃ意味ないなと思う今日このごろです。