なかなか思うようにいかないのが人生。
あの徳川家康だってこんな事言ってます。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望み起こらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるに勝れり。」
ここに出てくる「堪忍」。
こらえてしのぶことという意味ですが、今流に言うと「がまん」。
この「がまん」、「あきらめる」「望まない」という意味で使われることが多いですが、それは違います。
おもちゃ売り場でダダこねてる子供の横でお母さんが「ガマンしなさい」と言ってる光景見た事ありませんか。
人は人生の中で他の人と関わりながらでないと生きていけません。
しかし「他の人」というのはよくわからないもの。
「他の人」は自分の思うようにはなりませんから。
そうすると「がまん」が必要になってきます。
そんな時「だったらどうしよう」と考え、行動して乗り越えるのが本当の「がまん」。
先程の子供の例だと、例えば「だったら自分で(おもちゃを)つくってみよう」と思えばすごい成長ですよね。
まがりなりにも何か作ったらどう思いますか?
たぶん、簡単にはいきません。
何度も何度も作り直して、なんとかできる程度でしょう。
でも、とても大きな達成感を味わい、自信がつくのではないでしょうか。
「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来」という言葉の通り、自分が変わることが求められます。
それは「がまん」が必要なこと。
「あきらめる」では根本解決しません。
働いてる人なら思った事がある人多いと思いますが、「給料安過ぎ、、、」
居酒屋で愚痴っても給料は上がりません。
もっと収入得るために、何をしますか?
あきらめるのも自由ですが、根本解決にはなりませんよね。
きっといつまでもグズグズ言いながら働くことになります。
本当にあきらめるのも難しいものです。
だったらどうするかと考えて、スキルを身に付けるとか、副業するとか、転職するとか、考えて行動しないと変える事はできません。
何か問題、思い通りにいかない事にぶつかった時、あっさり「あきらめる」のは「がまん」ではありません。
何か問題、思い通りにいかない事にぶつかった時、なんでこうなるんだと怒っても何も解決しません。
居酒屋で愚痴ったところで何も変わりません。
「だったらこうしてみよう」と粘り強くあきらめず、知恵と工夫で乗り越えてこそ「がまん」です。
人生は思うようにならないからこそ、がまんで乗り越え、より充実した人生にしたいものです。