残業時間の制限が厳しくなります。
繁忙期で月100時間まで。
これは稼働日を22日として、一日4.5時間位。
9-17時の労働として、22時前に退社する計算です。
13時間程度職場で拘束。
週休2日、通勤時間にもよりますが、健康を害する時間ではないと思います。
あくまでも繁忙期の時間です。
働いて疲れるのは、肉体的な疲れだけではありません。
どちらかというと、精神的な疲れの方が健康に影響を与えるように感じます。
精神的な疲れが責任の重さであるなら、理論的には役職が上がるほど重圧があるはず。
しかし、責任の重さではなく、職場の人間関係によって若手が疲弊することもあります。
残業なしでもストレスから病気になる人はいます。
残業100時間以上してても楽しく仕事をしている人もいます。
では、大手広告会社であったような悲しい結果をなくすためにはどうすればいいのでしょうか?
労働時間に一定の枠を設けるとともに、職場環境を整えることが必要です。
職場環境を整えるためには、教育が必要です。
これは経営陣から変えていく必要があります。
経営陣の教育、これは難題です。
なぜなら、成功体験があるからです。
サラリーマン社会で出世した人たちは、すごく仕事をした人たちです。
ある意味の実力もあるでしょう。
運も持ってる人たちです。
おうおうにして自分と同じようにやる人を評価する傾向があります。
これまで歯をくいしばって頑張ってきた自分のやり方を否定する事は難しい事なのです。
過去の成功体験は、財産でもあり、足かせでもあるのです。
資本主義社会の中では、法律で縛られても、いかに結果を出すかで勝負は決まります。
法律で時間が縛られれば、時間当たりの効率アップが求められます。
それに答えようとするところに無理が生じてしまいます。
今の若い人は出世なんかどうでもいいと思ってる人が多いと聞きます。
だからこそ、これからの時代はますます処遇による差別化が進む可能性もあります。
やらない人には少ししか払わない、やる人にはたくさん払う。
ジレンマです。
我々は何を求めて頑張っているんでしょうかね?
有名なお話しがあります。
海岸沿いの小さな村に、あるコンサルタントが訪れました。
ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れていました。
そこでコンサルタントは聞きました。
「活きのいい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」
「そうだなー、数時間ってとこだな。」
「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」
「妻とのんびりするよ。一緒に昼寝を楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と遊び、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」
それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」
漁師は聞き返しました。
「どうして?」と。
「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くのお金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」
「それで?」と漁師は聞く。
コンサルタントは答える。
「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、都会に行く。その後は大都会に行って、会社にして経営すればいい。」
「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。
コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。
「そこからが最高だ。その会社を上場して巨万の富を手に入れるんだ。」
「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は質問した。
「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびり昼寝をして、午後にはギターを弾きながら子供と遊び、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」
漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。
「・・・・そういう生活なら、もう手に入れているじゃないか。」
落語のような話でおもしろいですが、この話の解釈にもいろいろとあるようです。
いずれも正解というか、読んだ人が何かを感じればいいのですが、一番の正解は「笑い」ですね。
しかし、いろいろ考えてしまうわたしたちは、そろそろ自分の働き方を考える時代になってきているのかもしれません。多様な働き方が出来る時代です。
耐えられないと思ったら、辞める。
やろうと思ったらやる。
少し休むのも良し。
気分転換を持てれば気分は楽になりますよ。
大切な事は、自分で自分の面倒を見つつ、自分で決める事。
信頼できる人に相談しつつ、最終的には自分で決める。
自分自身の人生です。
しっかり考えて、自由に決めればいいのです。
皆同じでなくても良いんですから。